瞼の裏に現れた太陽ー体は宇宙と響き合っている?!
- 東雲
- 6月2日
- 読了時間: 3分
今朝の瞑想で、不思議な体験をした。
私はいつものように森で瞑想をしていた。
日の出前の静かな時間が過ぎ、日の出とともに意識は普段の感覚へと戻ってきた。
私が瞑想しているのは森の中なのだが、少し離れた東側にはマンションが建っている。そのため、日の出の時刻になっても森からは太陽そのものは見えない。実際に太陽がマンションの上から顔を出すのは、日の出から7〜8分ほど経ってからだ。
その日も、まだ太陽は見えていなかった。
そして私が森で瞑想をするときは、日の出の方向を正確に向いているわけではない。森の中は地面が傾斜していたり、座りやすい場所が限られていたりするため、私が座る場所ではだいたい南東方向を向いて瞑想している。
その時も太陽が昇る東の方向と、私が向いている方向には少しずれがあった。
私はそのまま目を閉じて瞑想を続けていた。
すると突然、瞼の裏の中央に赤い光が現れた。
最初は気のせいかと思った。
そこで目を開けてみた。
すると、ちょうどマンションの向こうから太陽が昇り始めていた。
「ああ、太陽が出たんだ」
そう思いながら、もう一度目を閉じた。
すると、やはり赤い光が見える。
ただ、不思議なことがあった。
実際の太陽は視界の左側にある。

けれど、瞼の裏に見える赤い光は中央にあるのだ。

位置が一致していない。
それなのに、その赤い光は明らかに太陽の出現と連動しているように感じられた。
私はその時、
「人間の体には、太陽を感じ取る何かがあるのではないだろうか」
と思った。
もちろん、これは私の主観的な体験だ。
科学的に説明できる現象なのかもしれないし、私が知らない身体の仕組みが関係しているのかもしれない。
それでも不思議だった。
なぜ太陽が見え始めた瞬間に、瞼の裏に赤い光が現れたのだろう。
なぜその光は、実際の太陽と違う位置に感じられたのだろう。
私たちは普段、目で世界を見ている。
けれど本当は、目だけではない何かで自然を感じ取っているのかもしれない。
太陽の光や熱、空気の変化、あるいは言葉にできない何か。
そうしたものを体全体で受け取っている可能性もある。
昔の人たちは、現代人よりもずっと自然の中で暮らしていた。
もしかすると、日の出や月の満ち欠け、季節の移り変わりを、今の私たちより敏感に感じ取っていたのではないだろうか。
そして、ここから先は完全な想像になる。
もし人間の体の中に、太陽の存在を感じ取る仕組みがあるのだとしたら。
それは太陽だけではなく、月や惑星、あるいは宇宙のさまざまなリズムとも響き合っているのかもしれない。
もちろん証拠はないが、私たちの体にはまだ気づいていない感覚が眠っているのかもしれない。
それは単に光や音を感じる感覚ではなく、太陽や月、惑星の動きといった宇宙のリズムと、体を通して静かに響き合うような感覚なのかもしれない。
現代の私たちは、その感覚をほとんど使わずに暮らしている。けれど完全に失われたのではなく、ただ眠っているだけなのではないか。そんなことを思ったのでした。

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