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お腹が適度に空いている日の方が、なぜか瞑想も文章もスムーズ

  • 東雲
  • 6月8日
  • 読了時間: 3分

最近、ひとつ不思議なことに気づいた。

私はここ1年ほど、一日一食に近い生活を続けている。

もちろん毎日完璧ではない。

昼にお味噌汁を飲むこともあるし、家族のご飯を作れば味見をすることもある。

それでも以前に比べると、お腹が空いている時間はずいぶん長くなった。

そんな生活を続ける中で気づいたことがある。

なぜか、お腹が適度に空いている日のほうが文章が書けるのだ。

最初は気のせいだと思っていた。

でも何度も同じことが起こる。

ブログを書こうとすると、言葉が自然に出てくる。

考え込まなくても流れてくる。

一方で、お腹いっぱい食べた日は違う。

頭が重いというほどではないのだけれど、何となくまとまりにくい。

考えも散らかりやすい。


瞑想の時も適度な空腹の方が良い気がする

適度に空腹の時は、雑念が出てきても、

「あ、今違うことを考えているな」

とすぐ気づける。

そしてまた静かな状態に戻れる。

ところが満腹の時は違う。

雑念そのものに巻き込まれやすい。

「瞑想が終わったらあれをしよう」

「明日の予定はどうしよう」

そんな考えが次々に出てきて、気づけばそのまま考え続けている。

不思議なのは、適度に空腹の時のほうが、自分自身を少し離れた場所から見ている感覚が強いことだ。

肉体の感覚も。

思考も。

感情も。

どっぷりその中に入るのではなく、

少し距離を置いて観察できている自分がいる。

もちろん空腹なら何でもいいわけではない。

空腹が行き過ぎると今度は逆になる。

食べ物のことばかり考えてしまう。

だから私の場合は、適度な空腹がちょうどいい。


そして最近、この状態には何か意味があるのではないかと思うようになった。

私がチャネリングと呼んでいるものも、

結局は自分の考えや欲や感情を少し横に置き、別の領域につながることなんだと思う。

もしそうだとしたら、満腹の時にそれが難しくなるのも納得できる。

お腹がいっぱいということは、肉体も意識も満たされている状態だ。

エネルギー的に見れば飽和状態とも言えるかもしれない。

一方で適度な空腹の時は、肉体にも意識にも余白が生まれる。

その余白があるからこそ、自分自身を客観的に見やすくなり、普段とは違うエネルギーや情報も受け取りやすくなるのではないだろうか。

もちろん、これは私自身の体験から感じていることに過ぎない。

でも最近は、一日一食を続けてきた意味が少しだけ見え始めた気がしている。

空腹になることが目的だったのではない。

自分の中に余白をつくること、そのために続けてるのかもしれない。





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