お腹が適度に空いている日の方が、なぜか瞑想も文章もスムーズ
最近、ひとつ不思議なことに気づいた。
私はここ1年ほど、一日一食に近い生活を続けている。
もちろん毎日完璧ではない。
昼にお味噌汁を飲むこともあるし、家族のご飯を作れば味見をすることもある。
それでも以前に比べると、お腹が空いている時間はずいぶん長くなった。
そんな生活を続ける中で気づいたことがある。
なぜか、お腹が適度に空いている日のほうが文章が書けるのだ。
最初は気のせいだと思っていた。
でも何度も同じことが起こる。
ブログを書こうとすると、言葉が自然に出てくる。
考え込まなくても流れてくる。
一方で、お腹いっぱい食べた日は違う。
頭が重いというほどではないのだけれど、何となくまとまりにくい。
考えも散らかりやすい。
瞑想の時も適度な空腹の方が良い気がする
適度に空腹の時は、雑念が出てきても、
「あ、今違うことを考えているな」
とすぐ気づける。
そしてまた静かな状態に戻れる。
ところが満腹の時は違う。
雑念そのものに巻き込まれやすい。
「瞑想が終わったらあれをしよう」
「明日の予定はどうしよう」
そんな考えが次々に出てきて、気づけばそのまま考え続けている。

不思議なのは、適度に空腹の時のほうが、自分自身を少し離れた場所から見ている感覚が強いことだ。
肉体の感覚も。
思考も。
感情も。
どっぷりその中に入るのではなく、
少し距離を置いて観察できている自分がいる。
もちろん空腹なら何でもいいわけではない。
空腹が行き過ぎると今度は逆になる。
食べ物のことばかり考えてしまう。
だから私の場合は、適度な空腹がちょうどいい。
そして最近、この状態には何か意味があるのではないかと思うようになった。
私がチャネリングと呼んでいるものも、
結局は自分の考えや欲や感情を少し横に置き、別の領域につながることなんだと思う。
もしそうだとしたら、満腹の時にそれが難しくなるのも納得できる。
お腹がいっぱいということは、肉体も意識も満たされている状態だ。
エネルギー的に見れば飽和状態とも言えるかもしれない。
一方で適度な空腹の時は、肉体にも意識にも余白が生まれる。
その余白があるからこそ、自分自身を客観的に見やすくなり、普段とは違うエネルギーや情報も受け取りやすくなるのではないだろうか。
もちろん、これは私自身の体験から感じていることに過ぎない。
でも最近は、一日一食を続けてきた意味が少しだけ見え始めた気がしている。
空腹になることが目的だったのではない。
自分の中に余白をつくること、そのために続けてるのかもしれない。

コメント